タイトル2

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古川清会長
古川清会長
2016年 4月

 キリスト教の西欧とイスラム教の中東の間には長い絡み合いの歴史がある。7世紀に誕生したイスラム教はキリスト教の遠い親戚みたいなものだが、あっという間に強大な帝国を作り上げ中東・北アフリカ・スペインにその支配を広げた。西欧は聖地エルサレムをイスラムの手から奪還すべく十字軍を繰り出しイスラム世界を蹂躙した。その時高度のイスラム文明に刺戟を受けルネッサンスが起こった。アルコール、アルカリ等のアラブ由来の言語にその痕跡が残っている。その後イスラム世界の主導権はトルコに移り強大なオスマン帝国が出現、西欧はその侵攻に脅えることとなった。事実ウィーンは2回も包囲され人々は肝を冷やした(その時敗走したトルコ軍のテントの中に見なれぬ褐色の液体と豆があり、これからコーヒーが西欧に広まって行く)。
 併しこの軍事大国も第一次世界大戦で敗者となり、解体されてシリア、イラクなどの新しい国々が誕生した。併し国境の線引きは極めて人為的なものであったため国民国家として成熟するには至らなかった。その為イスラム教に内在するスンニーとシ―アの対立がむき出しとなり、これらのことが今日のISをめぐる混乱とテロの頻発を招いているのである。その上IT時代で悪意のある情報が簡単に世界中に拡散浸透し、信奉者を作り行動に駆り立てることが可能になっている。事態は極めて深刻であると言わざるを得ない。
(2016/04/01)-------------------------

2015年 4月

 本年は終戦70周年となる。私の安中二年生の時で終戦の詔勅で世界が一変してしまった。エリート集団だった帝国陸海軍はあっと言う間に雲散霧消し、ひと月も経たぬ中に米兵が進駐して来た。皆体格が良く血色も良く道端に座り込んで大きな袋から取り出して我々にくれたチューインガムの何とおいしかったことか。
 あれから70年、多くの国が独立を達成、政策よろしきを得て貧困から脱却した国も数多くある。国際貿易も飛躍的に増大し、世界は相互依存の時代に入っている。しかし、理想の世界平和が到達したかと言えば未だ程遠いと言わざるを得ない。あちこちで銃火が交えられ人命が失われている。更に新しいタイプの殺し屋、国際テロリストがオタワやワシントンに出没して市民を恐怖に陥れる事態も発生している。
 そこで私は考えるのだが、もし朝河貫一博士が現在生きていたら、その透徹した歴史観の中で現状を如何に分析し、如何なる警鐘を世に放ったであろうか。私に明確な結論はない。しかし、彼ならこのままでは世界は破滅に向かうとして「世界の禍機」なる著作を出したに違いないと思う。会員諸兄、友人達と酒を飲み交わす時この点を討論されては如何であろうか。
(2015/04/01)-------------------------

2014年 4月

 グローバル時代になって英語の役割が見直されつつある。小学校から英語を教えるべしとの気運が高まっている。一寸前までフランス人は英語を学ぼうとしな かった。フランス語こそ世界最高の言語であると信じていたからである。現在フランスでは英語を学び英語を話す人が増えている。英語が国際的コミュニケー ションの共通言語となったからである。ツール、サイト、アプリなどIT用語も皆英語である。県立尋常中学校が火事のため福島市から桑野村に移転した後ネイ ティブの英語教師が配置された。英国人トーマス・ハリファックスである。彼の指導で後にイエール大学教授となる朝河貫一が外国への眼を開くことになった。 しかし、日本人の10倍もの給料を払う財政負担のため県議会は僅か3年で彼を解雇してしまった。もし続いていれば沢山の人材が桑野村から育ったに違いない。 ハリファックスはその後長野尋常中学校(現在の松本深志高校)を経て朝鮮に渡り英語教師を続けそこで亡くなった。数年前私は友人たちと共にソウルの外人墓地に眠る彼の墓を訪れ感謝の気持ちを捧げて来た次第である。
(2014/04/01)-------------------------

2013年 4月

 本年は終戦後68年目に当たる。時計の針を逆に戻すと明治10年の西南戦争あたりになる。終戦までの戦争につぐ戦争の動乱の時代に比べると戦後の日本は平和の中で復興し繁栄してきた。ありがたいことだと思う。私の小学校時代はクラスの中にお父さんが戦死したという遺児が1人か2人は居たものだ。さて現在の日本の形はどうか。ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされた時代はとうの昔になり、経済力も落ち国民は自信を失い、考え方も自虐的になっている。国の借金もGDPの二年分もあり先進国の中で最低の劣等生である。
 一寸待ちなさい。一昨年の大震災の時東北人が示した「ガマン」と「秩序維持」世界の称賛を浴びたではないか。地下鉄のエレベーターで「開」のボタンを押し続け皆が出てから最後に出る若者が居るではないか。公衆道徳は決して低くない。私は日本は立派に立ち直り一流国に留まれると確信している。しかし何とかして欲しいものが一つある。それは教育である。資源のない、自然災害大国なのだから勝ち残るには「頭脳」と「努力」しかない。特に理数系の教育に重点をおいて欲しいと思う。発明・発見・技術が日本の生きる道であることは、今後も変わることはないはずだ。更にもう一つ。英語力の向上である。英語は今や国際コミュニケーション言語となっている。「アジアで一番英語が下手なのは日本人」との汚名は早々に返上したいものである。
(2013/04/01)-------------------------

2012年 4月

 原発事故で「福島」の名は世界中に轟いてしまった。地震・津波に加え、放射能と風評被害で郷里福島県は大きな被害を受けており、母校の安積歴史博物館も甚大なダメージを受けた様である。地震と津波は防ぎようなかったが原発事故は人災であり防止できたのである。このことが残念でたまらない。あの時関連地域の原発は安全装置が働き制御棒が上がって原子炉は停止した。原子炉は止まっても核燃料は猛烈な熱を出し続けるので冷し続けないと水素が発生するし最悪の場合臨界が起こってしまう危険がある。近くの福島第二原発は冷温停止しているのに福島第一原発だけが冷却用の予備電源が水没して作動しなかったため水素爆発を起こし、放射能を撒き散らしてしまった。津波の可能性を考慮した複数の予備電源を準備しておけば惨事には至らず、超弩級の地震にも耐え抜いたとして今頃日本の原発技術は世界の賞讃を浴びていたに相違ない。東京電力は原発の安全神話を過信し、何重もの予備電源配備への投資は必要なしと考えていたのであろう。根柢に慢心があったことは否めないと思う。何事にまれ「慢心」程恐ろしいものはない。日本人はとかく慢心に走る傾向がある。朝河貫一が「日本の禍機」で警鐘を乱打したのも日露戦争の勝利で自信過剰になった日本の慢心に先行きの不安を感じたからであった。われわれも日々の生活において慢心に陥らない様たえず自己を見つめ直すべきなのであろう。これこそ今回の事故の教訓でないかと思う。
(2012/04/01)-------------------------

2011年 4月

 安積の草創期には人材が輩出した。新城新蔵、高山樗牛、朝河貫一、小西重直などなど。何故だろうか。此の程出版された「朝河貫一と四人の恩師達」で良く解った。
 福島県は大変な教育県であった。もともと明治19年の法律で中学校は各県に一つと決められ、エリート養成のための高等教育機関としての地位が確定した。県知事達は競って自分に任せられた県の教育水準の向上に情熱を燃やし、中学校の校長や教師については全国的規模で有能な人材をスカウトして内容の充実を計った。
 四代目校長の能勢栄は早くも明治3年に米国に渡ってオレゴン州の大学を卒業、長野県を教育県に仕立て上げ、日本三大教育家の一人と評価された逸材で、赤司県令が無理矢理スカウトして福島尋常中学校の校長に迎え教育方針の基礎固めをさせている。その後任の和田豊第五代校長は英語教育の重要性を認識、文部省に掛け合ってハリハックスの招聘に成功している。また当時福島市や川俣町には英語塾があり、朝河貫一も中学に入る前、川俣町の塾で中学校を退職した蒲生義一から英語を学んでいる。福島県は養蚕県であったので、生糸の取引で欧米人と渡り合うことが多く英語の知識を必要としたらしい。
 ともあれこの時期は教える方も学ぶ方も必死であった。このエネルギーが多くの有為の人材を育てたことは間違いない。日本人全体の劣化が指摘されている今日吾々はもう一度明治の先人達に思いを馳せ何物かを学び取るべきではあるまいか。
(2011/04/01)-------------------------

2010年 4月

 NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で母校の旧校舎が共立英語学校や海軍兵学校の食堂として登場、懐かしく思われた方も多かったと思う。また本年の大河ドラマは「坂本龍馬」である。この二つのドラマは期せずして近代日本が当面した二つの危機に焦点を当てている。一つは徳川幕府の崩壊、一つは強国ロシアの南下政策の危機である。何れの危機もまかり間違えば日本は滅び列強の支配下に置かれていたかもしれない重大性をはらんでいた。幸い日本はこの危機を見事に乗り越えアジアの指導的国家となり「坂の上の雲」を目指して上昇して行くこととなった。
 さて現在日本は新たなる危機の中にあると言える。今回は世界第二の経済大国となった日本が、坂を転げ落ちてゆく危機である。経済成長の鈍化、人口減少、モラルの退廃、教育の荒廃などなど気になるデータは山程ある。
 われわれは何としてでもこの危機を乗り越えなければならないと思う。日本再生の最大の鍵は、日本が考え得る最大の資産、即ち世界的視野を持った人材の育成にある。一世紀も前、日露戦争に勝って驕り高ぶった日本を諌めた第4期生 朝河貫一的人物の輩出が望まれる次第である。安積の後輩達に期待したいと思う。
(2010/04/01)-------------------------

2009年 4月

 科学技術の進歩により地球はどんどん小さくなって来ている。昨年郡山に帰った時に聞いた話だが、郡山から東京の大学に定期券で新幹線通学をしている女子学生が何人かいるらしい。東京駅まで1時間20分で着くのだから特に驚く程の事ではないと言われればそれ迄の話だが随分と変わったものだ。私が幼い頃は、東京に出掛ける時はご近所に挨拶に回ったものだし、帰ってきたという方から浅草の「雷おこし」の土産を貰った記憶がある。大学生の時、学割では急行が使えなかったので各駅停車の鈍行で行くと終点の上野駅迄7時間半も掛かった。今や郡山から東京に行くのは「旅」ではなくなったのである。
 この様な現象は同窓会や県人会などの「ふるさと組織」に影響を与えている。即ち若い世代は、他にも理由があるとは思うが、この様な組織に加わることに昔程の熱意を持たなくなって来ているらしいのだ。おそらく首都圏全体が郡山生活圏の延長として観念される状況になりつつあるので、「ふるさとは遠きにありて思ふもの(室生犀星)」に当てはまらなくなっているのであろう。
 他方、恒常的なメンバーの新陳代謝がなければ同窓会の様な組織は衰退せざるを得ない。幸いなことに、東京桑野会に関する限り、ここ数年来、年次総会に参加する若い世代の数は増加傾向にある。会員諸兄の協力を得てこの傾向を一層強いものにして行きたい。特に現在の様に「百年に一度」の経済的不況が世界を覆い、世相にも暗さが漂っている時こそ東京桑野会は光輝く存在になって欲しいと願っている。
(2009/04/01)-------------------------

2008年 4月

 123年の歴史を持つ安中・安高は多くの偉大なる人材を世に送り出してきたが、国際的活躍という点では朝河貫一(第4期)の右に出る者はない。
 米国での排日移民法が可決され(1924年)、日本人への差別が渦巻く中で彼はイエール大学の教授に上りつめている。第二次世界大戦中も収容所とは無縁で大学で通常の学究生活を続けることが出来た。それ程、朝河博士への尊敬の念は高かった。
 昨年10月12日、イエール大学構内に造られた彼の功績を讃える朝河ガーデンのオープニング式典があり、加藤良三駐米大使の出席も得て盛況であった。式典後の昼食会で大学の男性合唱団ベーカーズ・ダズンが学生歌数曲を唱って吾々を歓迎してくれたが、この合唱団は冬休みを利用して来日、本年1月8日に福島市、9日に郡山市でコンサートを開催、成功であった。一人の先輩の偉業が、没後60年という時間を乗り越えてこのような国際交流をもたらしていることを考えると感慨深いものがある。桑野会から第二、第三の朝河貫一的な国際的人材が出て欲しいものである。
(2008/04/01)-------------------------

2007年 4月

 東京桑野会にも強いインパクトを与えたものとして、福島県立高校の男女共学完全実施を考えてみたい。半ば強引とも思えたその進め方には、男子校、女子校の多くの卒業生が反対を表明した。私も反対であった。戦後半世紀以上も経っているのに「何を今更」との気持ちもあった。少なくとも卒業生の組織は100年近く或いはそれ以上(安積の場合は116期まで)男の文化、女の文化を持ち続けてきた訳であるので、同窓会などでは異性がすんなりとなじむまでには、尚若干の期間を要するかもしれないと思う。
 結論を申せば、少なくとも安積高校に関する限りは共学制は成功であった。一種のシナジー効果とも言うべきであろうが生徒の質も向上し、大学進学率にも改善が見られている。私は昨年、二回安高を訪問する機会があった。一回は大学受験を控えた三年生を激励し、一回は「分野別講演会」の基調講演を依頼され、一年生を対象に進路について先輩ズラをして参考になる話をしたつもりである。私の率直な印象を申し上げれば、明らかに生徒達の生活は充実しており、高校生活を意欲と達成感をもってエンジョイしている。正直なところ、彼らの未来に全く心配はいらないと思った。
 最後になるが、我々の関心事は関東圏の大学に進学した後輩達を如何にして東京桑野会に誘導するかである。若い力の注入がないと組織は老衰してしまうからである。一案ではあるが、毎年の分野別講演会の多くは東京桑野会のメンバーによってなされているので、このチャンネルで東京桑野会総会・懇親会の参加者を増やせないものであろうか。諸兄の知恵と協力をお願いしたい次第である。
(2007/04/01)-------------------------

2006年 4月

 日本は現在、大変な変動のさ中にある。いろいろな社会システムが妥当性を失い改革を迫られているのである。小泉内閣の構造改革はこの大きな流れを如実に反映している。
 ではその変動の核心とは何か。一言でいうと平等主義との決別と競争原理の導入である。戦後わが国の基本原理は「平等」であった。「平等」主義は抜きん出る者を防止することを意味する。従って話し合いによって円満に皆が潤うよう、内部的に工作が行われることにもなる。世間ではこれを「談合」というらしい。
 しかしその結果はどうであったか。第一に国は活力を失ってしまった。財政赤字は膨れ上がり、今や国と地方の借金は国民総生産の2年分にもなりつつある。中学生や高校生の学力も低下し、フリーターや、やる気のないニートの若者が殖えているのも、過度の平等主義に由来している。いずれにせよ20世紀末は、「話し合い」でぬくぬくとしていた日本にグローバリゼーションの大波が押し寄せ、日本経済のバブルは崩壊し、「失われた10年」の悪戦苦渋の日々となったのだ。
 幸いにも今、日本経済は回復に向け力強い歩調を取り始めた。これからが正念場である。冷酷とも言えるグローバリゼーションの時代を生き抜くためには、どうしてもあらゆる面で競争原理を大幅に導入することが必要なのである。競争の時代になれば、組織も人も守旧的に立ち止まれば脱落してしまうので、絶えず新しいものを求め改善・改革していかなければならなくなる。
 しかし、そもそも社会は競争原理で進歩してきたのである。平等主義の時代においても人は絶えず自己研鑽に励み、企業も切磋琢磨していた。そのような人が大成し、そのような企業が伸びたのである。我々が安積で学んだのも校歌や応援歌にある「励み」であり「七州の覇」であり、「競い立て我健男児」ではなかったか。すべて「競争原理」であり「自己向上への誘い」なのである。向上心を忘れたら、人も社会も劣化の一途を辿ることになる。
 さて、競争原理の時代における同窓会「東京桑野会」の役割はどのようなものであろうか。私は澤田前会長の遺訓「会員の頼りになる」会に向け一層努力することが要請されているのではないかと思う。同窓会は平等主義そのものの集まりではあるが、我々の東京桑野会が全ての会員の憩いの場所となり、人生の内容がより豊かになるきっかけを与えてくれるよう、お互いに努力して行こうではないか。
(2006/04/01)-------------------------

2005年 4月

 母校の創立120周年記念行事も無事に終了し、安中・安高の歴史は121年目に入った。5世代に亘って安積に学んだファミリーもあるというのだから凄いことである。
 長い歴史を振り返ってみると、母校は幾度かの衝撃に見舞われている。第一は明治17年に福島市に開校しながら校舎が焼け、僅か2年後に安積郡桑野村への移転が決定されたことである。第二は昭和22年の学制改革であり、安積中学校は安積高等学校となり、就学期間も5年から3年に縮まった。第三は4年前の男女共学制移行である。この中で最大のマグネチュードをもってやってきたのは共学制であった。ご存知の通り、桑野会は磐高や磐女の同窓会と手を組んで反対運動を展開したが、県当局の方針を覆すことはできなかった。何ゆえ桑野会は反対運動を展開したのだろうか。私の考えでは卒業生のアイデンティティの維持に危機と不安を感じたからである。安積は一世紀以上も長きに亘り、県内有数の男子校として多くの人材を世に送り出してきた。おのずと校風が築き上げられ、卒業生は明確なアイデンティティを共有し誇りとしていた。男女共学制の導入はそのアイデンティティに重大な変更を要求するものであり、卒業生の意識に対して大きな変革を迫ることとなった。
 幸いこの共学制は極めてスムーズに定着し、大学進学結果にも概ねは改善が認められているのは喜ばしい。女子生徒の比率は4割に達し、生徒会会長が二世代続いて女子が選ばれていると聞いた。「男子ガンバレ!」の反応を示す向きもあるようだが、その意識こそがアイデンティティの危機なのである。幸い昨年の東京桑野会総会には、117期の新卒者3名(内、女子が2名)が参加してくれた。例年新卒の出席者が非常に少ないので、今後とも新卒者並びに若い世代の誘導には力を注いで行きたいと考える。
 また数年前より、東京花かつみ会(安積女子高校並びにその後身の安積黎明高校の首都圏同窓会)との交流が行われており、各々の総会に幹部役員を相互に招待することが定型化しつつある。この交流は今後共積極的に進めていくつもりである。東京花かつみ会も共学制移行に伴うさまざまな問題を抱えている様なので、東京桑野会としても交流促進は充分意味のあるものと考える。
 他方、東京桑野会はここ数年間、会長・幹事長らが母校を訪れ、大学受験を目前に控えた3年生に激励を行ってきた。狙いは、東京桑野会の紹介と新卒者への参加アピールにあったが、昨年は日程の折合いがつかず実現できなかった。昔と違い生徒達の日程は相当詰まっている様であり、又意識も変化していると思われるので、3年生へのアピールは別の方法を考える必要があるのかもしれない。
 いずれにせよ、東京桑野会の発展のためには次の要素が必要である。
  1. 年次総会が全ての年齢層にとり楽しいものであること。
  2. 毎年多くの若い世代の入会・参加があること。
 この点、会員各位の御協力をお願い申し上げる次第である。
(2005/04/01)-------------------------

2004年 4月

 本年は母校創立120周年に当る。喜ばしいことである。明治17年といえば、わが国が近代先進国を目指して生みの苦しみを味わっていた時だ。対外的には不平等条約解消を目指し条約改正の意図を各国に通告した年だし、国内的には三春出身の河野広中らの自由民権運動が過激化して自由党が解体に追い込まれた年でもある。その時期に開校されたわれらの母校の歴史は近代日本の歩みと重なっている。改めて母校の120周年の歴史の重みと、そこで学んだ誇りを感ぜざるを得ない。
 その120周年を目前にして澤田悌名誉会長が亡くなられたのは残念であった。澤田さんは東京桑野会の中興の祖であり、氏の指導力なかりせば会はおそらく今頃衰微していたに相違ない。
 会報の第1頁に掲載されている東京桑野会の3原則は澤田さんの書き下しであるが会のあるべき姿を実によく纏められている。私なりに解釈すれば次の通りとなる。
 第1の原則は「同窓の親睦」である。親睦の会であるのだから、いかなる意味でも親睦にダメージを与えかねない要素は会の運営から排除せねばならぬ道理となる。特に「政治」や「商業主義」の要素は絶対駄目である。政治はプロ・アンド・コンで常に対立がつきものだし商売は利益と絡んでしまう。要するに親睦以外の目的のために東京桑野会が使われてはならないということである。
 「同窓」については、全員の資格要件は「安積に学んだ」ことのみであり、会員はすべて平等ということを意味する。職業や社会的地位などは会の運営においては関係のない事柄である。東京桑野会の会員は40期台から110期台まで70年の巾があるがすべての年齢層に配慮した運営が望まれる。特に本年からは女性会員も入会するのでこの点についても意を用いなければならない。
 第2の原則は「楽しい会」である。会員であることが楽しいものであるようにせよとの澤田さんの遺言だと私は思っている。会の最大の行事は年1回5月に目白の椿山荘で開かれる総会と懇親会であるが、これを会員にとり待ち遠しい程楽しいものにすることが、企画に携わる私共役員に課せられた任務と考えている。「そうなっているか」と問われると自信はないが、この点については会員諸兄よりの提案やサゼスチョンも頂いて引き続き改善を試みたいと考えている。
 第3の原則は「頼りになる」ことである。この原則の実現が実は一番難しい。頼られる前提としてのコミュニケーションの確保が難しかったからだ。しかし東京桑野会のホームページが出来て事情は革命的に改善された。HP誕生の経緯については昨年の第25号会報に詳しく載っており、"東京桑野会"とクリックするだけでHPの会報欄アクセスが可能となる。このHPは業者に頼んだのではなく、コンピューターに詳しい会員諸兄達のボランティアの手作りの結晶でありコンテンツは実に素晴らしいと自負している。これだけの内容のHPを自前で立ち上げた高校OBの会は余りないと思う。HPには「会員親睦の頁」があり様々な情報の入手ができる上に、同期会開催などの情報のインプットも可能である。コンピューターさえあれば会員相互の意思の疎通は非常に容易になった、ITさまさまである。会員諸兄におかれては東京桑野会のホームページを大いに活用して頂きたい。
 以上が私なりの独断的解釈であるが私には一つの夢がある。新しく東京地区にやってくる新卒同窓生諸兄達に彼らの新しい生活がスムーズにスタートできるよう東京桑野会として何か手伝ってやれないものかということである。私自身昭和24年に東京にやってきて寮生活を始めたが、東京の生活にとけ込むのに初めの中は苦労したことを思い出す。澤田さんは常に若い世代への配慮の要を説き、彼らの意見を取り入れることを重視されていた。若い世代の支持なくしては会の永続的繁栄はあり得ないのである。3原則を考えながら改めて澤田悌名誉会長の御遺徳を偲んだ次第である。
(2004/04/01)-------------------------

2003年 3月 東京桑野会ホームページ開設最初のご挨拶

 東京桑野会は、旧制・県立安積中学校、県立・安積高等学校の首都圏同窓会として長年活動を続けてきた。まもなく創立120周年を迎える母校から輩出された、多くの同窓生の首都圏における「安積を想う心のよりどころ」であると自負している。このたび、東京桑野会のホームページが開設されたことを報告し、共に喜びたい。世はインターネット時代である。IT革命のパワーはすさまじく、われわれの生活全般が、大いなる変革を余儀なくされている。私もパソコンを求め、Eメールなどを始めているが、想像を超える便利な機械が発明されたものだと思う。コンピューターを通じてあらゆる情報が、広範にかつスピーディに入手できる。ニューヨークの友人は、毎日、日本の新聞のホームページにアクセスして情報を入手しているので、外国にいる気がしないと言っていた。私もワシントンのホワイトハウスのホームページにアクセスしてみたら、ブッシュ大統領の記者会見が、音声として聞けるので驚いた。新聞などのメディア企業の経営はこれから大きな影響を受けるのであろう。
 東京桑野会でも、ホームページを立ち上げることになり、この方面に詳しい若手会員が努力してくれた。今年の総会案内は、このホーページのお知らせでもなされている。今後は、会員諸兄の間でこのホームページを大いに活用して、東京桑野会を盛り上げて欲しいものである。
 東京桑野会の最大の行事は、年一回5月に開かれる総会並びに懇親会であるが、その意味合いは、IT時代になってますます大きくなっていると思う。年に一回、椿山荘のおいしい料理をいただき、どうやら飲み放題の酒を酌み交わしながら「安積」に学んだお互いの縁を噛みしめつつ友と語らうことは、正しく至福の一時ということができる。また、参加するすべての人にとって、至福の一時となるよう、会員諸兄の協力と努力をお願いしたいと考える。
(2003/03/01)-------------------------

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