タイトル2

TOP頁へ戻る 東京桑野会の頁へ 会員親睦の頁へ 会からのお知らせ 故郷復興 熱い想いT 2012年5月

 奇しくもこの5月に東京桑野会会員より、故郷福島県の復興を願い、ぜひ発表してほしいという原稿が届きました。また、2012年6月1日(金)の定期総会にて「低線量の放射線の影響について」という講演会がありましたが、この内容についても併せて発表します。熱い想いUへ続く。

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 佐藤栄佐久君の正論 
    塩谷 哲夫(71期)東京農工大学名誉教授

 原発の「安全」と「安心」との関係
−「安心とは民主主義プロセスの保証によって、初めてもたらされる」(『福島原発の真実』(平凡社,2011.6)−
 私は、前福島県知事で政府・東京電力の原発推進策に抗って"退陣"に追い込まれた(と言われている)佐藤栄佐久君と、故郷、福島県郡山市の「郡山二中」、「県立安積高校」の同期生で、大学では、私が<理科二類〜農学部>、彼は<文化一類〜法学部>で学んだ。そんな仲間である。
 栄佐久君は著書の中で次のように言っている;
 原子力安全・保安院は、「原発の"安心"は、科学の合理的な積み重ねで実現される」と主張をくりかえしてきた。
 私は違うと思う。「安心」は断じて「サイエンス」ではない。まして、県民の納得を得ようともせずにそれまでの安心基準を緩和した「維持基準」という「合理的な科学」は、不具合を隠すために使われているのではないかと疑われ、福島県民に「安心」は永遠に訪れない。
 では、「安心」とはどのようにして得られるのだろうか。それは、原発のデータや原子力政策のプロセスが透明化されて国民の目に見えるようになり、賛成、反対の意見を言い、知りたいデータを知らせてもらうことができる。民主的なプロセスの実現である。安心とは民主主義プロセスの保証によって、初めてもたらされる。
 "横書き"の「科学」を学び、技術研究・普及で暮らしてきた私は、"縦書き"の「文化」を学び、経済・政治の世界で暮らしてきた栄佐久君の述べる"正論"に教えられ、「科学(安全)」と「民心(安心)」との関係について"納得"した。
 なお、私は彼のこの本は自治体関係者にとってすぐれた教材だと思って、自治体関係者に勧めている。当初、福島県は「原子力発電は科学的に、安全です」と言うお上を信じ、その権威に黙らされてきた。国、県、市町村への上意下達の、どこでもそうであるような流れに従って。
 しかし、東電や保安院の原発トラブル隠しに気づいて以来、佐藤栄佐久知事は精力的に県行政をリードして行く。原発で発生する事態を「科学」的に究明する組織を育成し、県民が「安心」を納得し得るための民主的なプロセスを展開する。県職員がその過程で次第に力を備えて行く。県民が県を信頼してこころを合わせて行く。その着実、かつダイナミックな過程に、私は感動した。そうか、行政が民衆に責任を持って、安全と安心を結びつける民主的なプロセスをきちんと進めること。そこを譲ってはいけないのだ。
 その熟議の過程が民衆を鍛え、民主主義を成長させることになる。トップが"上意下達"したり、行政が"やってあげる"ことが善政ではない。
 原発の再稼動をめぐる事態の展開を案じつつ− 


 森は海の恋人 
    塩谷 哲夫(71期)東京農工大学名誉教授

 畠山重篤,森は海の恋人(北斗出版,1994)を読む
−3.11大震災・大津波の被災からの復旧・復興を祈念し、三陸リアスの人々の暮らしと文化に想いをはせて−
 この本を買ったのは2回目になる。一冊目は、2,000年に、東京農工大学大学院国際環境農学専攻の教授をしていたときに、助手として採用した及川洋征君(森林生態・経営専攻)に、彼のふるさと盛岡に縁のある三陸沿岸地方の森と海を結ぶ文化を心に留めておいてほしいと思ってプレゼントしてしまった。
 今回の3.11東日本大震災・大津波が三陸沿岸部にもたらした惨害、そしてそこからの復旧・復興を思ったとき、この本のことがすぐに頭に浮かんだ。そしたら、著者の畠山さんが取材を受けている場面がTVで放映された。牡蠣や若布の養殖施設や加工工場などが壊滅して2億円以上の被害を受けたが、この豊饒な海が、必ずやこの地域に生きる人々の暮らし、文化を復興させてくれるだろうと、力強く語っていた。彼のひげ面が印象深かった。そこでまた『森は海の恋人』を購入した。
 この本を読むまで、海の民の暮らしが、森の恵み、森の民の暮らしとこんなにも深く結びついていることを教えられたことはなかった。この本には、森と海を、山の民と海の民を川がつなぎ、リアス式海岸地帯に注ぐ川の流域に形成(成蹊)されたこの地域独特の文化圏の一つの姿が実に生き生きと描かれている。この度の自然の驚異的な猛威によって、一時的に破壊されはしたが、三陸のリアス地帯(スペイン語のリア:Riaは「深い入江」のことで、ガリシア地方に多い)は、森からの物的・人的支援を受けながら、必ずや昔の豊かな姿を取り戻し、豊かな海の幸・山の幸を与えてくれるようになるだろう。縄文時代に人々がここに住み着いて以来、何度かこんなことがあったのではないだろうか。そして、その都度、森も海も、そして人間も、蘇生してきたのであろう。
 さて、畠山によると、かつては、海で生きるためには、船や櫓からはじまって、海底の海胆や鮑をとる竹竿の先端、鮪や鮫を引っ掛ける「鉤ぞ」等、海で使う道具類のほとんどは森の産物であったという。また、海苔種付け用の広葉樹の枝「芝」、海鞘の幼生を付着させる山葡萄の蔓縒(ロープ)などの養殖の仕掛けにも、森の樹々がそれぞれの特性を活かして使われた。それだけでなく、山の幸が食料として、燃料として、海の民の暮らしに無くてはならないものだった…と、畠山は、自分の生い立ちを振り返りながら、海と森とのつながりを、絆を紡ぐように語る。
 海の民なのに、こんなにも木々の名前や特性を知っているのかと驚かされた。私のように知識として木の名前を知っているというのではなく、彼らは生業のために、また暮らしにとって欠かせない資材として、森の木々と付き合ってきたのだから、まったくもって身についているわけで、驚くには当たらないのだろう。
 畠山は上流域の森の人々についても話を進める。気仙沼湾に注ぐ大川の上流の豊かな山里に、大正から昭和にかけて歌壇で名声を博した田園歌人熊谷武雄がいた。
 "森は海を海は森を恋いながら 悠久よりの愛 紡ぎゆく"
 この歌は武雄の孫娘の歌人、熊谷龍子の作である。畠山は、この書のタイトルとなった『森は海の恋人』というフレーズはこの歌から産まれた柞*の森のしずくのような言葉であったと書いている。
 *柞:ははそ‐コナラ、クヌギなどの古称。優しいことばである。
 畠山たちは、戦後の国による広葉樹林の針葉樹化や流域上流のダム建設などによって、森から海への植物プランクトンや鉄分などの栄養塩類の供給が減少して、海がやせてきたことに気づき(北大の松永勝彦教授*との交友があった)、危機感を募らせて、仲間の牡蠣士たちと「牡蠣の森を慕う会」を結成し、平成元年、室根山を望む水源の森に大漁旗をはためかせながら広葉樹の植林を開始した。
 *松永勝彦,森が消えれば海も死ぬ‐陸と海を結ぶ生態学,講談社,1993.
 「森と海、それは太古の昔から生命を育む源である。清らかな川で二つが結ばれている限り、永遠に新しい生命を生み続けるだろう。」
 この畠山らの強い想いが、このたびの地震・津波によって壊滅的な被害を受けた漁業、海の民の暮らしを再興させる原動力ともなると、私は思っている。
 "闘うという姿勢 何れかのわが細胞と符号してゆく"
 この歌は、畠山が、気仙沼湾に注ぐ大川を塞き止め、地域社会を壊す「新月ダム」の建設計画(1988)を知って、それを止めさせようとして行動した場面で、彼の心に響いてきた熊谷龍子の作である。
 畠山は、「未来に大きな負の遺産を残すことになる」、「いかにしてダムを造るかを考えるより、ダムを造らないで暮らせる生き方を模索すべきではないか」と思い、立ち上がった。
 森、川、海を結ぶ地域の人々の強い絆によって、ダム建設は2001年に中止された。
 畠山がダムに対峙して考えたように、私たちは、今、原発について、「造らないで暮らせる生き方」を模索すべきではないかと思う。


 アグロノミストとして、太陽エネルギーの利用を考える 
    塩谷 哲夫(71期)東京農工大学名誉教授

−日本の豊かな農地・林地、広い国土の有効利用を祈念して−
「フクシマ」が問いかけていること
 地震・津波は天災である。しかし、それがきっかけになったとは言え、東電福島第一原発の「事故」は犯罪的人災である。幾多の真摯な科学的・人道的批判を無視して、「原発は安全です」と言う虚言を弄して、地震国日本において、砂上の楼閣のような原発を建設し、原発依存のエネルギー政策を推進してきた産(電力業界)官(政府)学(…までも!)の犯罪は厳正に裁かれなければならない。
 その前に…今は、日本国内はもとより、国際的な協力も得て、なんとしても原発の現場において、原子力の暴走を押さえ込んでしまわなければならない。「フクシマ」は、現地・日本を越えて世界の、そして"今"という時を越えて将来の、人類の活動エネルギーと生き方の選択にかかわる歴史的な戦いでなのであると思う。
核廃絶・脱原発の覚悟を
 この事態を契機に原発の「安全神話」は底が割れ、国民世論も脱原発へと急速に転換しつつある。菅首相も日本の「エネルギー基本計画」を見直し、基幹的電源の50%を原子力に依存するという計画を変更して、風力や太陽光などの自然エネルギーの活用を推進すると言明せざるをえなくなった。しかし、海の向こうのドイツやイタリアの人々の迅速な決断に比して、「事故」の発生源である日本は、そして日本人は、「脱原発」で生きて行く覚悟がまだできていない。
 日本国民には、原発なしで日本社会のエネルギーは充足されるのだろうかという不安がその背景にあるからだと思う。しかし、原爆・原発は同根なのだから、世界唯一の原爆被爆国民として、原発廃止は日本国民の当然の選択なのではないだろうか。人類は自ら作り出した原爆、原発という魔物を飼いならすことができず、またその殺人廃棄物を、安全裏に、永久に封じ込めることができないでいるという厳然たる事実を知っておかなければならない。
「自然エネルギー利用技術の開発」をオールジャパン・プロジェクトとして
 世界に冠たる科学技術力を誇ってきた日本ではないか。原子力に頼らなくとも、自然エネルギーの利用によって、持続可能な循環型社会を支えることができることを実証しよう。水力・火力・風力発電等、すでに多くの実績があり、その他の自然資源利用を含めて、その実現可能性は高いのではないだろうか。
 自然エネルギー技術の開発をオールジャパン・プロジェクトとして進めよう。生活者国民は、覚悟を持って、循環型社会にふさわしい豊かでエコロジカルな生活の仕方を創り上げていこうではないか。災いを転じて福となそう。
太陽エネルギーの最も安全・安定した利用はバイオマス
 ところで、自然エネルギーの発電については、その出力が天気や自然環境の変化に伴う変動による不安定性が問題であり、一旦蓄電池に溜めるとか、スマートグリッドによって電力需給を調整することなどが不安定解消のキーテクノロジーだといわれている。確かにそうかもしれない。でも、ちょっと待って! 太陽エネルギー利用は電力だけではない。
 現在、太陽エネルギーが、安全に、そして安定して、最も有効に人間生活に利用されているのは、植物の光合成によって転換・固定されたバイオマスである。人間はバイオマスを、衣・食・住はじめ、さまざまな資源に活用してきた。発電のための熱源としても。
 私は今、農業高校教科書『農業と環境』の作成に携わっている。農業と環境の関係を、「私たちが暮らす地球に外部から加えられるエネルギーは、太陽エネルギーのみである。太陽の光エネルギーを利用して、植物は二酸化炭素と水から有機物を合成し、からだをつくっている。…光合成の過程では、生物の生命活動に無くてはならない酸素を放出する。こうして、植物が地球を"生命の星"とした」ということから書きはじめた。
農林地・農林業の健全再生で、太陽エネルギーをもっと地球にとどめよう
 しかし、一年間に地球に降り注ぐ太陽エネルギーは5.5×1024ジュールであり、その約半分が地表に届き、光合成によって植物に吸収される太陽エネルギーはその0.2%に過ぎない。人類の食糧エネルギーとなるのは、またその100分に1の0.002%だと言う(竹内・長谷川,地球生態学)。この利用効率を高めたい。
 そのための一番有効な方法は、土壌の生態系を健全にして農林地を再生し、その生産力を高めること、そして農の営みを多くの人々が享受できるような社会環境を作り、農林業を基幹産業として大事にすることである。そうすれば、私たちは農林生産物という現物としてのエネルギー素材を今よりずっと沢山手に入れることができるだろう。あらためて何か特別な植物などが必要なわけではない。植物生育の基盤は健全な農地・林地にある。


 原発がふるさとを変える――水上勉『故郷』(集英社,1997年) 
    塩谷 哲夫(71期)東京農工大学名誉教授

 2004年に亡くなった小説家、水上勉の故郷は若狭である。その若狭には15基もの原発が立地している。世界一の原発集中地帯である。そこには、今や、政府、電力業界の再稼動の"期待"を担っている関西電力大飯原発があり、次世代のプルトニュウム利用の技術開発のエース、日本原研の高速増殖炉「もんじゅ」もある(事故続きでまともに稼動したことがないが)。00
 美しく静かな若狭の海辺に、どうしてこんなに原発が林立したのだろう。
 水上は、不破哲三との対談(水上・不破,『一滴の力水‐同じ時代を生きて』,光文社,2000)の中で、永六輔の講演を引きながら、「若狭が疲弊困憊しておカネがほしかったからつけこまれたのだ」と語る。そして、「根本的なことを言わせてもらうと、若狭と普天間は一つなんですね」と、原発や安保といった"高邁な国策"と現地の人々の"生活現実"との間に生ずる矛盾、葛藤を喝破している。
 鎌田慧はルポルタージュ『原発列島を行く』(集英社新書,2001年)で、原発立地が、過疎地を狙い、莫大な金をばらまいて、寂れた田舎に、いびつな虚構の繁栄を演出し、実は、そのことが如何に地域の人々の暮らしや文化を破壊してきたかを、読み進むうちに、嫌気がさしてくるほどあからさまに書いている。
 そして、3.11以後は、前福島県知事佐藤栄佐久『福島原発の真実』、開沼博『「フクシマ」論』(青土社,2011)など、原発を受け入れるにいたった地方の困窮と国策的な原発推進とのかかわりについて、その背景を追究している本が沢山出されている。私は、それらが突きつける"現実"のデーターに、どうしようもない想いにさいなまれてしまう。
 一方、水上の『故郷』はあくまでも作り話であり、1987年から'88年にかけて、新聞小説として全国の地方紙に連載載されたものである<ところが、本にしようとしたら「いろいろな妨害」があって、本になったのは10年後の1997年だったそうである>。
 ところが、『故郷』を読み進みうちに、私は、小説家は"すごい"…と、思わされてしまった。読む者に"そのこと"−原発を受け入れることが何をもたらすのか−を、描き出される"小説としての現実"の力をもって、読む側の想像力をかきたて、データーとしてではなく、読者自身の胸のうちのこととして"わからせて"しまうからである。
 小説のページを開くと、「ハロー、エクスキューズミィー」と、青い目のアメリカ娘キャッシーが、突然、若狭の辺境漁村の駐在所に現れる。かと思うと、フィリピン娘の元気なホキちゃんが登場してきたり…なんで?<水上の他の小説では、こんなとっぴなことはないのに>。
 実は、キャッシーは村を出て京都でアメリカ人青年と愛し合って渡米、結婚して産んだ娘。ホキちゃんは、原発建設で都市からやってきた2千人の労働者で賑わう村のキャバレーに出稼ぎにやってきて、日本のまじめな青年に見初められて結婚したフィリピン妻。
 でも、彼女達の振る舞いが、どうして若狭の原発に翻弄された人々の人生につながっているのだろうか。
 水上は、貧しくとも、素朴で心優しい村の人々が、また、昔ながらの仕組みが働いてきたムラ社会が、原発の建設に伴って、次第に怪しげに変容していく様を、さまざまな歴史を背負った若狭の人々の暮らしに、心の襞に分け入って、時には笑ってしまうほど面白く、また時にはしんみりと物語る。
 そして、そんな故郷を一端離れても、紆余曲折を経て、かつての故郷を想い、戻って来ようと思う人々がいる。しかし、そこは彼等にとって、安住の地なのだろうか…。
 水上は、果たして、3.11のような原発事故が現実に起こることを想定していたのだろうか? 1986年のチェルノブイリの事故を知っていたのだから、想像したかもしれない。
 しかし、愛する故郷 若狭が、原発の放射能によって汚染されて、帰れないところになるなどとは考えたくもなかったのではないだろうか。
 松浦寿輝<芥川賞受賞作家>が、『朝日新聞』の「文芸時評」(2012.4.25)で〈赤坂真理『東京プリズン』の評としてだが〉、「文学は、政治や社会学の論文とはまったく違う形で、〈歴史〉を問題化することができる…。学知や思想によってではなく、しなやかで強靭な想像力によって…」と。そして、「最近の作家の野心がやや小ぶりになった」ことを嘆き、小説家に「一個人の知識や想像力では到底見通しが利かないような大問題に真っ向から立ち向かおうとする、ドンキ・ホーテ的な企図」、「小説的想像力」を奮い立たせようと呼びかけている。
 水上の『故郷』は、そんな大きな企図を秘めた文学ではないかと、私は思う。是非『故郷』を読んでみてほしい。
 原発が日本を、日本人の「故郷」を変えてしまった3.11が起こった今、なぜ、この本が話題にならないのだろうか。 人の心に染み入る"文学の力"が怖いからなのだろうか。
 そう言えば、忌野清志郎が、夏の海で泳いでいたら目の前に原発が…と歌った"時宜を得ている"と思える『サマータイム・ブルース』*が、TVやラジオから聞こえてこない。"音楽の力"が怖いのだろうか。 
 *この歌はTHE RC SUCCESSIONのLPレコード『カバーズ』に収録されている。当初、メジャーの東芝EMIからリリースされる予定だったが、何故か突然発売中止になり、インディーズのKITTY RECORDSから発売された(1988年)。娘達が東京で入手して、当時住んでいた新潟・高田まで持ってきてプレゼントしてくれた。今も大事にして時々聴いている。


 「がれき」は“広域処理”がいいのか? 
    塩谷 哲夫(71期)東京農工大学名誉教授

「がれき」は資源!−"広域処理"よりも"地元活用"が良いのでは…?
 考えてみると…、「がれき」を遠くに運んで処理することは予算(国民の金)の無駄遣いなのではないか?「産廃処理業者」を名乗る業界に大金を配ることになりはしないか?  がれきを積んだトラック1台、最遠の鹿児島までに走らせたらいくらかかる? そこでの処理にはいくらかかるのだろう? 処理済み物はどれだけの価値を生み出すのだろうか?
 それよりも、地元に大きな処理場を建設して、地元の人を雇って復興事業としてやった方が良いのではないか? 「がれき」という運搬効率の悪い粗大物質を、遠くまで、「帰り荷」の当てもなく運ぶよりも、採算性が高いし、被災地の人々の雇用拡大にもなるはずだ。
 可燃物は熱エネルギー源として発電に使える。がれきがなくなっても東北の膨大な森林の間伐材を活用すれば木質燃焼発電所が稼動できる。そして、間伐は森林を蘇らせる。
 木屑は木質ボードなどに加工しても使える。青森県では既に超硬度で多用な機能を持ったウッドセラミックへの加工技術を開発している。
 自動車や家電などは解体して再資源化できる。東北には小坂町などに旧鉱山の精錬技術を活かした金属資源のリサイクルの技術があり、企業もある。
 コンクリートなどは土木などの建設資材としていくらでも使い道がある。被災地復興のための防潮堤や防潮林の土台にもなる。かつて、横浜の山下公園は関東大震災(1923年)のがれきを埋め立てて築かれたと言う。
 こんな風に、「がれき」は多くの価値を産む資源になるのではないだろうか?
 誰か、社会的、経済的、政治的…価値・効果を比較計算してみてくれないかな?
 3月に政府が宮城・岩手のうち400万トン(総量2045万トン)の「がれき広域処理」を呼びかけたときに、"ひねくれ者"の私は…こんなことを考えてしまった。 
 自分たちの策と力の無さを、協力を迷っている自治体をまるで"非国民"呼ばわりしてごまかそうなんて、うっかりするとなんとか業界や裏社会とつるんでるのじゃないのかと思ってしまう。「メディア」もグルかな? 気がつかないはず無いのに。
 政府が文書で協力要請した35道府県+10政令指定市のうち17+5が「前向き」回答を下らしい(「朝日新聞」4.17夕刊」)。どこの自治体ももともと「ゴミ処理」では困っているのだから、先が思いやられる。政府は、被災地復興事業の一貫として、がれきの"広域処理"よりも"地元活用"に取り組んでもらえないだろうか?<2012.3.12メモ>
 "広域処理"よりも、私は被災地の復興資源として"地元活用"に頭を働かせ、お金も使ってほしいと思ったわけである。間違っているかな…と思って、3.11当時石巻の高校の校長先生をしていた友人に話してみたら、「地元では、そう思っている人が沢山いるよ。その意見、どんどん言ってよ」と言われた。

 「がれき」はさまざまな問題を抱えていて一筋縄では扱えないことは承知していますが、地元の声に後押しされて発信しました。また、本稿は、福島の放射能に汚染されたがれきは除いた宮城・岩手のがれきを対象として書いています。


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