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54期の永井陽之助氏
54期
永井陽之助


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2009.04.15 永井陽之助氏(日本の政治学者)追悼 −2008年12月30日逝去−

東京桑野会ホームページ委員会編集

 国際政治学者の永井陽之助氏(安積54期)東京工業大学名誉教授が昨年2008年12月30日に死去していたことが3月18日、分かった。84歳だった。東京都の出身。葬儀は近親者で済ませた。関係者によると、数年前から入退院を繰り返していたと言う。

 1962年(昭和37年)10月、留学中のハーバード大学でキューバ危機に遭遇。米国内に核ミサイルが打ち込まれるという恐怖が広がった。妻が「一緒に死ねるだけましね」と言ったが、彼は「一緒にいられることを心から神に感謝した」。
 米ソ二大国間のパワー・ポリティクスを目の当たりにし強い衝撃を受け、平和主義に侵された日本人に強いメッセージを発することになる。依然として日本国内ではそのような権力政治的要素を等閑視し、イデオロギーに規定される形で国際問題についての硬直化した議論が行なわれていることに不満を感じて、国際政治に関する研究・評論を開始、『中央公論』1965年5月号に発表した「米国の戦争観と毛沢東の挑戦」で論壇へのデビューを果たす。同時期に論壇に登場した高坂正堯とともに、現実主義の立場から日本外交を論じ活躍することとなった。
 核時代の権力政治という状況への注目から、いわゆる非武装中立主義だけでなくタカ派に対しても批判的であり、1980年代前半の米ソが厳しい対立状態にあった「新冷戦」期には、岡崎久彦らを軍事力を行使可能な手段として過大視する「軍事的リアリスト」として批判、一方で軽武装・経済重視の戦後日本外交を「吉田ドクトリン」と名づけ高く評価し、岡崎との間に「政治的リアリストVS軍事的リアリスト」論争を展開した。その評論活動に対しては専門外の人間からの注目度も高く、三島由紀夫、福田恒存などからも高い評価を受けていた。
 1967年、『平和の代償』で第2回吉野作造賞を受賞。1985年、『現代と戦略』で文藝春秋読者賞を受賞。1984年から86年まで、日本国際政治学会理事長を務めた。
 1942年(昭和17年)に旧制安積中学を、1945年(昭和20年)に第二高等学校文科乙類を卒業、さらに1950年(昭和25年)には東京大学法学部政治学科を卒業。東京大学では堀豊彦に師事。
 現実主義の政治学者として活躍し、日本の政治学発展に大きく貢献した。

【著 書】

1.単 著
『平和の代償』(中央公論社、1967)
『政治意識の研究』(岩波書店、1971)
『柔構造社会と暴力』(中央公論社、1971)
『多極世界の構造』(中央公論社、1973)
『冷戦の起源―戦後アジアの国際環境』(中央公論社、1978)
『時間の政治学』(中央公論社、1979)
『現代と戦略』(文藝春秋、1985)

2.編 著
『現代人の思想(16)政治的人間』(平凡社、1967)
『20世紀の遺産』(文藝春秋、1985)

3.共 編 著
(岡路市郎)『北海道』(中央公論社、1962)
(篠原一)『現代政治学入門』(有斐閣、1965/第2版、1984)
(会田雄次・市村真一・宇野精一)『現代人のための名著』(講談社、1968)
(衛藤瀋吉)『講座日本の将来(3)世界の中の日本―安全保障の構想』(潮出版社、1969)
(斉藤真・山本満)『戦後資料・日米関係』(日本評論社、1970)
(神谷不二)『日米経済関係の政治的構造』(日本国際問題研究所、1972)
(ヘンリー・ロソフスキー)『認識と展望・日米コミュニケーション・ギャップ―対日イメージ・対米イメージ』(サイマル出版会、1973)
The Origins of the Cold War in Asia, co-edited with Akira Iriye, (Columbia University Press、1977)
(土山實男)『秩序と混沌―冷戦後の世界』(人間の科学社、1993)

4.訳 書
H・D・ラスウェル『権力と人間』(東京創元社、1954)
T・D・ウェルドン『政治の論理』(紀伊國屋書店、1958)
D・リースマン『政治について』(みすず書房、1968)
D・リースマン『二十世紀と私』(中央公論社[中公新書]、1982)

                                                           (86期:芳賀雅美)

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