タイトル2

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71期の塩谷哲夫氏
71期 塩谷哲夫
(ちょっと若い?)
2008.06.08 ブラジル農業の"実力"−その多様性と注目の乾燥地灌漑農業−

塩谷哲夫(東京農工大学名誉教授、全拓連JATAK参与)氏の連載になります
※JATAK:農業技術普及交流センター

1."未来の大国"から"近い将来の大国"へ
 今年は、日本人のブラジル移住100周年に当たるので、新聞やテレビでブラジルのことがいつもよりは余計に報道されているようである。ただし、NHKのTVドラマ『届かなかった手紙−ハルとナツ』に代表されるように、戦前の移民の経験した苦労の思い出ばなし風のものが多いように思う。確かに言い尽くせないほどの窮状、困難があったに違いない(石川達三『蒼氓』,北杜夫『輝ける蒼き空の下で』,角田房子『アマゾンの歌』)。しかし、多くの日系人が、それらの苦労を乗り越えて成果を挙げ、農業分野に限らず広くブラジルの社会経済の発展に大きな貢献をしてきたからこそ、異国のブラジルにおいて日系人が定着して、今日では160万人にも及ぶ増殖を遂げることに至ったのであろう。また、現在、その中の30万人余の日系ブラジル人が日本で働き、暮らしている。こんなにたくさんの"親戚の人"がいるのに、日本で、ブラジルのことがあまり知られていないのは寂しい。
 ところで、私は今年の元日の『読売新聞』の社説を読んでいて驚いた。ゴールドマンサックス社の「2050年の経済大国」(GDP)の予測が引用されていたのだが、1位中国(50兆ドル)・2位アメリカ(30数兆ドル)・3位インド(20数兆ドル)に続いて、日本とブラジル、メキシコが10兆ドル近くのほぼ同じレベルで肩を並べているではないか。
 ブラジルは、その豊かな大地のもたらす資源力を背景にして、いつも"未来の大国"と言われてきたのだが、"近い将来"に現実に世界のベスト5に入る経済力を持つだろうと予測されるまでの実力をつけてきているのである。石油が出ないならばと、恵まれた太陽と広大な大地を資源としてサトウキビからアルコールを製造し、アルコール燃料車も開発し、道路網を築いて広い国内の輸送を確保し(1979年)、また、陸地では見つからなかった石油をついには沿岸の深海を探索して見つけ出し、今では石油完全自給を達成している。広い国土を効率よく利用するために小型ジェット機を開発し、それを輸出して、この部門では世界のトップを走っている。これらは、天然資源のポテンシャルの高さにおんぶしているだけではなく、雄大な展望を持って、それらの資源を活用し、商品化して、世界進出を図れる技術力を開発・発展させてきた成果である。(『日経ビジネス』2006.12.18号の「ブラジル[魅惑の大国]爆発前夜」が参考になる)。私には、セラードの荒野に建設された首都ブラジリアは、将来に向かって、臆せずに、楽観的に、社会建設を進めるブラジルを象徴しているように思われる。

2.大きく、かつ多様な、ブラジル農業とその実力
 ブラジル農業といえば、「ああ、コーヒーの産地だね。そうそう、最近は、大豆の生産量が多いようだ。それに、サトウキビを原料にしたエタノールで車を走らせているようだね。」くらいにしか思い出してもらえないのでは、私としては残念である。ブラジル農業の実力はそんなものではないのである。以下にざっと紹介しておこう。
[ブラジル農業の生産力]
 農産物の生産量で世界のベスト・テンに入るものを拾ってみると(FAO統計,2005年)、コーヒー、オレンジ、砂糖(以上が1位)大豆、牛肉(2位)、鶏肉、トウモロコシ(3位)、豚肉(5位)、牛乳、綿花、鶏卵、穀物(7位)、トマト、米(もみ)、タマネギ(10位)ということになる。ちなみに、日本は鶏卵4位、鶏肉・タマネギ9位、米10位である。
 農地面積(耕地5,900万ヘクタール、永年作物地760万ヘクタール(FAO,2003年))が日本(470万ヘクタール)の約14倍の広さがあるのだから驚くにはあたらないのかもしれないが、ブラジルが世界の食料生産基地であることは確かである。 
[農業経営のすがた]
 しかし、誰が、どんな経営が、これらの農産物の生産に当たっているのだろうか。ブラジル農務省の2005年9月発表の「農業を営む単位」(「サンパウロ新聞」05.09.03)によると、経営体の総数は496万。そのうち80万(16%)は主として他人の労働力に頼る法人組織の大規模農業で、残る416万が家族農業である。農地面積を基準とした経営規模別の割合は、5ヘクタール未満が37%、5〜20ヘクタールが27%、20〜201ヘクタールが30%、201〜1,000ヘクタールが4.6%、1,000ヘクタール以上が1.5%である。また、2003年農務省統計によると、100〜1,000ヘクタールの10%弱の経営が農地の35%、1,000ヘクタール以上の数にしてわずか1%程度の経営が45%の農地を所有している。法人大経営による農地の集積・寡占化と中小の家族経営との間の大きな格差がうかがえる。
 これらのデーターから勘案すると、上記したような輸出向けの土地利用型の主要作目の農産物は、ほとんどが大規模な法人経営の広い畑で、大規模・低コストの生産方式によって生産されていると言えよう。しかし経営実態は、作目・作物による違いはあるが、一般には、マクロ経済的には華々しく見える数値とは異なって、苦しい経営状態にあるように見受けられる。その原因は、これらの産物は国際価格で流通するものであり、最近の高騰する対ドル為替レート、高い金利の農業金融などにある。数十ヘクタール以下の中小経営は、大方は、主としてローカル市場向けの生産をしているが、南米自由貿易圏の形成に伴う低価格輸入農産物の増加もあって、さらに厳しい経営環境の下にある。
 ただし、これは一般論であって、作物の種類によっては、中小規模でも、優れた経営管理や高い技術による集約的な栽培法(たとえば、日系農場での果樹の剪定・樹形作りや高級なラン品種の育成など)によって、生産性が高く、すばらしい成果を上げている経営もある。
[ブラジルの風土・農業の多様性]
 広大なブラジルの大地は、地形図に示したように、北部の赤道直下・熱帯雨林地帯のアマゾン、沿海部湿潤・奥地乾燥地帯の東北部、山岳と湿潤平坦の混在する東部、西中央部の叢林・草原輻輳のセラード地帯、湿潤な海岸山脈とその西に波丘地が広がる南部の亜熱帯〜温帯と、五つの地域に大区分される。それぞれの地域間で、また地域内でも、気候・土壌・植生はきわめて多様である。
 それに開発の歴史的経緯や移民(ポルトガル、イタリア、ドイツ、アフリカ、日本など)が移住の際に持ち込んできた文化・農法の違いなどの影響も重なった風土に色づけられて、農業のありようもきわめて多様である。そんなわけで、ブラジル農業を十把一絡げにして云々するわけにはいかない。はるか地球の反対側に暮らすわれわれ日本人に、ブラジルの大地の大きさに目を奪われて、このようなブラジルの多様性が認識されていないことは無理からぬことである。私も長い付き合いを経てようやくそれに気づいたところである。

3.注目されるブラジルの乾燥地帯・乾期の潅漑畑作農業の発展
[<乾燥地・乾期は農業が出来ない>という常識]
 多様なブラジル農業の中で、最近私が注目しているのは、乾期・乾燥地において展開されている潅漑農業である。
 ブラジルの気候的な地域性を特徴付ける指標のひとつは地域による雨の降り方である。気候図に示されているように雨の降る時期・期間、降雨の強度(スコールの程度)がさまざまである。日本で作物栽培が出来ないのは低気温になる冬の季節の北国や高冷地であるが、ブラジルでは、「雨が降らない場所・時期」が「作物栽培が出来ない場所・時期」であるということになる。植生分布図と気候図で分かるように、国土の大きな部分に乾燥地帯、乾きやすい叢林・草原地帯があり、ほとんどの地域に「乾期」がある。これらの乾燥地帯では痩せた草地にまばらに牛を放しているか、[サボテン−ヤギ]農法(写真)くらいしか成立しない。また、長く、強い乾期のあるところでは作物栽培が制限されて、雨期の一毛作だけの農業にならざるを得ない。これが、今までの"常識"であった。
[ブラジル畑作における灌漑農業技術]
 ところが、これらの地帯、乾期に作物栽培が行われるようになった、あるいは、そうなりつつあるのである。その決め手は「潅漑農業技術」の開発、普及である。もちろんその前提としての水源開発・導水施設・電力・道路などのインフラ整備が不可欠である。そして、計画的な国家的投資、官民の技術開発、農業融資等の政策・制度の設定などの長い準備期間を経て、リスクに挑む農業経営者の努力も伴って、現在、乾燥地・乾期の潅漑畑作農業が成果を挙げてきているのである。
 乾期の潅漑方法として最も容易に取り入れることが出来るのは、比較的小面積の畑用のスプリンクラーや10ヘクタール以上の大きな圃場を対象にしたピボ・セントラルである。ピボ・セントラルは給水を受ける中央軸を中心として、数十〜数百メートルの長い散水棹が車輪付きのスタンドに誘導されて回転しながら、棹に配置されたノズルから雨を降らせるように散水する装置である(写真)。例えば300メートルの散水棹を備えたピボの場合は、1回転すれば約28ヘクタールに潅水することが出来ることになる。比較的小さな川や井戸を水源として利用できるので広く普及している。これらの装置は潅水の必要な圃場に移動して設置することが出来る。
 また、圃場に給水パイプをネット状に埋設して張り巡らせて潅水装置つきの施設化するのが点滴潅漑ネットワーク(「ゴテジャメント」)である。地表面近くに配した散水孔付きパイプから点滴潅水する。乾燥した大気中に蒸発する水分ロスが少ないので水利用効率が高く、落下水滴が跳ね上げる土や植生内の湿度上昇に伴う病気の感染・伝播の危険が少なく、給水の時期や量をコントロールしやすいなどの利点がある。このゴテジャメントは果樹園や野菜圃場(数十〜数百ヘクタールの広さにまで)に取り入れられている。
[サン・フランシスコ河流域開発]
 地域ぐるみの大規模な灌漑農業団地を造成して、目覚しい生産拡大を遂げている例としてサン・フランシスコ河流域開発事業を紹介する。
 (サン・フランシスコ河はブラジル東北部にあり、全長3,616km、北海道から沖縄までの距離にほぼ匹敵する。ミナス・ジェライス州南部の山脈を水源として、バイア州を北上し、アラゴアスとセルジッペの州境を蛇行して大西洋に注ぐ。「地形図」参照。)
 この大河の流域50数ヵ所に拠点を置き、灌漑農業で東北伯のカアチンガ(乾燥疎林地帯)地域の零細農を救助しようという壮大な国家計画である。この事業は1974年に内務省(当時)傘下の開発公社が担当して始まり、セラード開発事業と同様に、コチアとスールブラジルの日系農協がこの計画に参加した(当時)。また、個別にも日系農業者がこの計画地域に進出した(移民80年史編纂委員会,『ブラジル日本移民80年史』,1991,サンパウロ)。日本からの大きな融資もおこなわれた。現在もその後継事業が行われている一大プロジェクトである。現在、この地域で活動している日系農協には、ミナス・ジェライス州北部のピラポーラで潅漑施設を利用したブドウ等の生産・販売を行っている「ピラポーラ農協」(22名)、バイア州ジュアゼイロ、ペルナンブコ州ペトロリーナ地域で輸出用ブドウを主体に(2005年の生産量は19,225トン、うち14,120トンを輸出)、マンゴー、バナナなどの生産・販売を行っている「ジュアゼイロ農協」(81名)などがある。また、ミナスのジャイーバなどにマンゴー、パッションフルーツ、バナナなどの生産・販売で成果を挙げている日系農場がある(写真)。
[潅漑農法と環境保全農法を統合したすばらしい経営を視た]
 乾燥地帯の農場を訪ね歩いていて、農法革新という観点から、私が特に印象に残ったのはバイア州のダイヤモンド高原カスカーベルで出会った農牧会社[BAGISA]の農法である。
 岩山がそびえ、行けども行けどもカラカラに乾ききった山道を車で疾走する。どんどん登って行くと、突然、前方に霧が流れ、空には虹がかかり、空と大地が一体となった一面緑の広大な台地に突入した。行く手に建物群が現れ、そのまま進行すると大きな農機具が揃い、美しく整備された庭の先に立派な事務所が建っていた。ドアを開けると正面に日本語で書かれた「社訓」が掛かっているではないか。日系資本の企業の[BAGISA]社で、経営責任者もサンパウロ大学出身の日系二世イシダ氏(2003年7月当時)であった。
 この地域は標高1,000〜1,200メートル、年間雨量は雨期に集中した800ミリ、気温は16〜26℃。高原に谷を形成して流れるパラグァス河を堰き止めて国営事業として造成された「第1アペルタード・ダム」を水源として、開発面積された農地面積は15万ヘクタールで、現在14農場が開かれ、潅漑面積は1年に1.5〜2万ヘクタールずつ増えており、潅漑法としてはピボと点滴が取り入れられているとのことであった。各農場は政府の自然環境保全局の許可を得てそれぞれの営農用貯水池を備えている。
 BAGISA の創立は20年前で、生産環境を整備して生産を開始したのが15年前。土地は約8,300ヘクタール所有しており,既に利用しているのは2,000ヘクタールで、野菜に440ヘクタール(うちトマトを点滴潅漑で160ヘクタール、キャベツ170とバレイショ110ヘクタールはピボ潅漑)を2年間栽培し、順次、次に農地に移動して,野菜の後には牧草・飼料作物をピボ潅漑しながら栽培して牛を放牧するという牧畑輪換している。こうして、農地を肥沃かつ健全に維持して、野菜の連作障害が発生しないように管理している。
 さらに注目させられたのは、トマトやキャベツの虫害防除に天敵蜂の蛹を封じ込んだ紙片をセットし(週2回)、フェロモントラップを用い、化学農薬の使用を控えていることであった。専門の職員6人で、2日に1回、圃場を巡回して、病気・害虫を調査し、データーベースを作成しながら総合防除(IPM)を進めていた(写真)。この防除システムは民間の農業技術研究所と契約して行われている。
 バレイショには農薬散布が行われていたが、農薬会社の技術者地無我、ノズルの種類、ポンプの圧力、農薬散布量とバレイショ茎葉への付着具合等を詳細に実測しながら、防除機の調整に当たっていた。出来る限りの高い作業精度、効率的資材利用、環境への配慮の心がけていることが実感された。
 これだけ大規模なのに、いや、逆にそれだからこそ厳しく管理するという経営方針はすばらしいと感心した。大規模だからこそ高い精度の作業で、生産成果、コスト目標を達成しないことには、高い利息で(8.75%)資金を借りて行っている農場は倒産してしまうことになる。
 BAGISAに限らず、周辺の農場には、農業経営のあり方を考えさせてくれるさまざまな技術や経営管理の方法があり、ブラジルにおける新しい農法である潅漑農法に取り組む人々の技術力の高さ、経営哲学から学ぶところが多くあった。
 ところで、BAGISAや周辺農場をあわせると、農業開発がこの地域に膨大な労働力需要、就業機会を作り出したわけである。BAGISAの食堂は、昼時はすごい賑わいであった。経営責任者のイシダ氏は「弁当持ちも多いが、労働者の健康管理や安定就労を考えて職員休職精度を設けたし、診療所も設けた。将来は、住宅、病院、学校等の整備を進めて、豊かな"まちづくり"をすることが企業としての安定を保障し、社会的な責任を果たすことになる」と語った。農業開発の目的は<その地域の資源を活かして、より多くの人々が、その地域でより豊かに暮らせるようにすることだ>ということを、あらためて思い知らされることになった。
[ブラジルの乾期・乾燥地潅漑農業の評価]
 乾燥地・乾期によって土地利用の展開を阻まれているブラジルにとって、潅漑農法は、画期的な"農地拡大"をもたらす可能性のある農法である。
 すなわち、@未利用あるいは低生産性利用に押さえ込まれてきた広大な乾燥地帯地において、高い生産性を持って利用可能な農地面積が増大すること(ブラジルの乾燥地帯は地力的に不毛な「砂漠」ではない)。また、A国土の大半に及ぶ不可避の乾期のために制限されている既存の農地において作物栽培が可能となって土地利用率が向上することによって"実質的な"農地増大効果をもたらす。潅漑・集約管理によって生産し、面積あたりの高収益を求めようとする潅漑農法の導入は、従来の、常にフロンテア開発(森林皆伐を伴って)によって農地を拡大し(注)、そこでの低投入・低コストの収奪的な大規模粗放農業による利益を求めてきたブラジル"伝統"農法の革新の契機ともなるかもしれない。
 (注)現在、法的には農地開発する場合は州や地域によって異なるが20%〜80%の既存植生の保全が義務付けられている。アマゾン地帯は80%保全である(20%しか開けない)。サンパウロ州、ミナス・ジェライス州などにおいては自家敷地内の木を一本切るのにも当局の許可が必要なほどの強い規制がかけられている。自然環境保全局による厳しい監理が実施されている。ただし、不法な森林伐採などの違法開発が相当横行しているようである。
 さらに、a-1:土壌養水分のコントロールによる土壌のミネラル利用の改善、a-2:点滴潅漑の場合の低湿度大気を維持しながらの病虫害防除の有利性等によって高品質農産物が得られる、また、b:潅水による水分管理によって不時開花を誘導することが可能になり、端境期の出荷に伴う高価格販売により高収益が得られる、…等々の大きな成果を期待できる点でも画期的な農法革新である。
 ただし、潅漑農法の普及に当たって、これからの最重要の課題は、水利用の乱用を防ぎ、水源涵養を図り、水源枯渇を起こすことがないような制度の確立と監視の徹底であろう。これは、ブラジルに限らず、これからの農業(食)・環境の将来にわたる持続性に関わるグローバルな一大課題である。

                                          (東京農工大学名誉教授、71期:塩谷哲夫)

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